ロトサウンドのレガシーは、ロックンロールそのものの誕生にまで遡ります。
1958年以来、ブリティッシュ・インベイジョンからパンク、メタルからグランジに至るまでのジャンルの、最も有名な録音の数々にロトサウンド弦は使用され、アーティスト達が時代を定義づける音楽を生み出す手助けをしてきました。
ジョン・エントウィッスルは、RS66 Swing Bassの開発サポートを通して、その後長く続くロトサウンドとの関係をスタートさせます。エントウィッスルがこう振り返ります。
「あれは1966年のことだった。私はダンエレクトロ的なサウンドを追い求めてあらゆる弦を試したが、E弦とA弦に満足のいくものがなかった。それはロトサウンドの弦でも同じだったが、あとほんのもう少しというところだった。問題を解決するために私はジェームズ・ハウと連絡を取って「D弦とG弦は素晴らしいが、E弦とA弦は、適切に鳴るまであともう少しだ」と彼に話したよ。彼は私にベースを持参してロトサウンドに来るように伝え、彼らは適切に鳴るよう、弦の改善に取り組み始めたんだ」
「ほどなくして、問題は巻線じゃなく、芯線にあることに気づいたんだ。弦が大きな円を描いて振動しているのだと思っていたけど、それは間違っていた。芯線を太くする必要があったんだ。加えて、ゲージ全体を少しヘヴィにした。ロトサウンドは私に試奏用として12セットの弦を用意してくれたよ」
「数日後、ロトサウンドは電話をかけてきて、私の名前を使って弦を販売しないか、と打診してきたよ。「私にタダで弦を供給してくれる限り、気にしない!」と彼らに言った。私は他にも様々なベースを持っていたから、ミディアムスケール、ショートスケールにも対応するよう、同様に弦の開発をサポートした。それらのRS66シリーズは、私が満足のいく形で適切に鳴らされた、はじめての弦となったんだ」
ロトサウンドのデンマークストリートのショールームにて、ジェームズ・ハウ、ピート・ウィルシャー、アラン・マルクソン。
ロトサウンド社の設立と併せて、ジェームズ・ハウはロンドンの有名なデンマークストリートにショールームをオープンしました。
そこでは「Triumph amps and PA systems」(リバプールのキャヴァーン・クラブに導入されていた)、「Image lighting」(当時流行のグルーヴィーなサイケデリック・オイル・ホイール)、「Pro Mark drumsticks」、「Jenco Vibraphones」、「Marimbas and Celestes」、そして音楽と同期して機能する「Rotosound Rhythm Light」などロトサウンド社の扱うその他の商品も展示されていました。
Ant Macarinoが所有するオリジナルの「Rotosound Fuzz MKIII」
ロトサウンドは、60年代、70年代、およびそれ以降のギターサウンドを形作ったファズペダルなど、アクセサリーのラインナップの補強を始めました。デンマークストリートでの隣人であるSolasoundによって設計された「Rotosound Fuzz」は、トーン・ベンダーの青写真に従って、数年に渡り様々な回路や筐体が試され開発されました。
ロトサウンドが販売したもう1つのペダルは、MKI.5 Fuzzと独立したwah-wah回路を組み合わせたエキセントリックな「Growler」です。ユーザーは足でラバーパッドを回転させて操作しましたが、FuzzやLevelのコントロールがありませんでした。
米国アリゾナ州のとある紳士からのメールは、ジェームズ・ハウが60年代後半にプロトタイプとしてしか販売していなかった、眠れる製品への関心を呼び起こしました。ロトサウンドのファズペダルは、ジェームズがディック・デニー(戦争中に英国空軍にいた)および当時のVOXのマネージング・ディレクターであったトム・ジェニングスと親友であったことから、1967年にジェームズ・ハウの指定する仕様に従って製造されました。
この遺産はかなりの騒動を引き起こし、綿密な検査の結果、いくつかの小さな変更を加えてより使いやすい仕様で元のペダルをリイシューするよう進められました。リイシューには、アンディー・ブラントとDr.バリー・パイアットの多大なるサポートがありました。
生産は2,000台のみで、2012年にリリースされ、すぐに売り切れました。
ロトサウンドは、1950年代後半の創業以来、多くのアーティスト達と素晴らしい関係を築いてきました。新たなアーティスト・リレーション担当のドム・フェアバンクスは、伝統を継続しつつ最新のバンドにアプローチし、現行の音楽フェスティバルでのロトサウンドの強い存在感に貢献しています。
ザ・バルコニーズ、テンプルズ、ピース、ユー・ミー・アット・シックス、ベイビーシャンブルズ、ボーイ・クライド・ウルフ、クリスタル・ファイターズ、ファーザーソン、ジェームズ・クリーバー・クインテット、ザ・ヴァクシーンズ、スキンドレッド、アーチ・エネミー、ツリートップ・フライヤーズ、ツイン・アトランティック、ホワイト・ライズなどのバンドが、この時点でエンドーサーとなっています。
ビートルズのジョージ・ハリソンの古いギターが、ケースにロトサウンドの弦パックが入った状態でサザビーズ・オークション・ハウスに出品されます。所有者はこう述べます。
「…ジョージは私にこのヘフナーのPresidentを託してくれました…あれは1969年の夏、「Here Comes the Sun」がリリースされる前でした。「Here Comes the Sun」のコード進行でわからない部分を訊くべく、私はジョージのところを訪れていました。ジョージは私に彼のギタールームからどれかギターを1本取りに行くように言い、私が取ってきたギターは、彼が「Blondie」と名付けているヘフナーのPresidentで、それは彼が手にした最初の良いギターであるとのことでした。ジョージは私にコードを見せた後、私からギターを取り、「7フレットでここで弾いて」と笑いながら私に教えてくれました。そして彼は、このギターは君のものだ、と私にギターを渡してくれました。彼はそのギターには少し調整が必要だと言い、ギターに張られられていたものよりも私にとって良いと彼が思った、ロトサウンドの弦セットを私にくれたのです」